夏目漱石入門

こんにちは、おっぱいは大きいほうが好きです。しいて言うなら「あ、おっぱいがある」と認識できる大きさのおっぱいが好きです。おぐらです。

 

きょうはですね、夏目漱石夢十夜についてお話ししたいと思います。皆さんは夏目漱石といえば何を思い浮かべますかね。はい、そいですよね。「こころ」とか「坊ちゃん」とかだと思います。ですが楽したいので短編で終わる夢十夜を選びました。すみません。

 

えーーと、あらすじを説明すると、

 

第一夜
『こんな夢を見た。腕組をして枕元に坐っていると、仰向に寝た女が…』
死ぬ間際の女に「百年待っていて下さい」と自分は頼まれる。女の墓の横で待ち始めた自分は、赤い日が東から昇り、西へ沈むのを何度も見る。そのうちに女に騙されたのではないかと自分は疑い始める。その自分の前に、一輪の真白な百合が伸びてくる。いつの間にか百年が過ぎていた。


第二夜
『こんな夢を見た。和尚の室を退がって、廊下伝いに自分の部屋へ帰ると…』
「侍なのに無を悟れていない」と和尚に馬鹿にされた自分は、悟りを開いて和尚を斬るか、悟りを開けず切腹するかの二択を自らに課し、悟りを開くため無についてひたすら考える。


第三夜
『こんな夢を見た。六つになる子供を負ってる。たしかに自分の子である。…』
田圃道を子供をおぶって歩いている。子供は盲目である。あぜ道を行くうち、子供は周囲の状況を次々と当て始め、恐ろしくなった自分は子供を放り出して逃げることを考える。道はいつしか山道へと入り、やがて一本の杉の木の前に辿りついた。すると子供が「御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」と言う。殺人を自覚したとたん、背中の子供が急に石地蔵のように重くなった。


第四夜
『広い土間の真中に涼み台のようなものを据えて、その周囲に小さい床几が並べてある。…』
禅問答のような会話をしながら酒を飲んでいる爺さんが一人。河原の柳の下へ行き、取り出した手ぬぐいを蛇に変えると言う。やがて、爺さんは「今になる、蛇になる、きっとなる、笛が鳴る」と言いながら川の中に入っていく。


第五夜
『こんな夢を見た。何でもよほど古い事で、神代に近い昔と思われるが…』
戦に敗れた自分は、敵軍の大将の前に引き出される。大将は鶏が鳴くまで処刑を待ってくれる。それを知ってか知らずか、自分の恋人は馬を駆って陣を目指す。


第六夜
『運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいると云う評判だから…』
運慶が仁王像を彫っている。その姿を見物していた自分は、隣の男が「運慶は、木の中に埋まっている仁王を掘り出しているだけだ」と言っているのを聞く。自分でも仁王像を彫ってみたくなり、家にある木を彫り始めるが、何度やっても仁王は出てこなかった。


第七夜
『何でも大きな船に乗っている。この船が毎日毎夜すこしの絶間なく黒い煙を吐いて…』
とにかく舟に乗っているのだが、乗っている理由がまったく分からない。不安になり水夫に話を聞くが、要領を得ない。ホールでピアノを弾く女性を見ているうち、むなしくなった自分は甲板から海へと飛び込む。


第八夜
『床屋の敷居を跨いだら、白い着物を着てかたまっていた三四人が、一度にいらっしゃいと云った。…』
床屋に入り、鏡の前に座っていると、鏡の中を様々な人物が通り過ぎてゆく。


第九夜
『世の中が何となくざわつき始めた。今にも戦争が起りそうに見える。…』
母は幼い子を連れ、夫の無事を祈って百度参りに出かける。子供を拝殿に残し、お参りを続ける母。


第十夜
『庄太郎が女に攫われてから七日目の晩にふらりと帰って来て…』
庄太郎は水菓子屋で会った女に崖に連れて行かれ「ここから飛び降りろ」と言われる。拒否した庄太郎に、何万という豚が襲いかかる。

 

wiki参照



あらすじだとよくわからないですね。青空文庫で読めるので読みたい人はぜひ読んでみてください。

 

 https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/799_14972.html

 

 

読んでみて思ったのは従来の作品とはちがうという感覚です。夏目漱石はこういう短編を書くのかといったような感覚を覚えました。

 

じゃあなぜ、夏目漱石はこころや坊ちゃんといった長編小説とはちがった作品かを個人的に読み解いていきたいと思います。

 

まず、なぜこの夢十夜を書いたのかを考えたときにおそらくこれは夏目漱石の文学に対する姿勢を表す入門書なのではないかと考えました。


みなさんはアニメとかドラマで「いや、この数秒間にこんな思考できるわけないだろ」とか、崖から落ちそうなヒロインに手を差し伸べる時にヒロインの崖から落ちるスピードがやたら遅いとか、ジェットコースターの落ちる前の時間と落ちた後の時間でまるで違うとか、そう言った従来の時間感覚とのズレを感じることはありますか?この感覚を文字に起こしてみるのって、ちょっと難しいな、と思いません?ぼくは思いました。

 

夏目漱石は「文学論」という本で上巻の最初に文学の基本方式として(F+f)「Fは焦点的印象又は観念を意味し、fはこれに附着する情緒を意味す」と書いており、さらにはこのFには三種類あるとした。(1)一刻の意識におけるF、(2)個人的一世の一時期におけるF、(3)社会進化の一時期におけるF、とした。このFというのは意識の最も明確な部分としての焦点、頂点を意味しています。

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この画像の頂点の部分ですね。そしてA→Bという意識の移ろいに対して、Aの意識は消えるのではなく識末という部分にA→aといった感じに移ろうわけです。この意識の移り変わる経験を時間の変化に当てはめるわけです。この意識の変化における一時間は現実における一時間とは異なります。

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このような波形の意識の移り変わりを時間の変化として認識するというわけです。(2)のFとは例えば、恋愛感情は最初から爆発するというより、徐々に好きになっていき相手に対する感情が頂点に至った後、好きな人が移ろうなど、その期間は相手や人によって異なります。本文では漢詩への興味を例にとっていますね。書くのめんどくさい。。。(3)は時代思潮と称するものといってますが、広義におけるFと言ってます。

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これに付随するように情緒が付加され、文学の基本方式が出来上がるというわけですね。

 

 

これをもとに夢十夜の話をしていきましょう。

 

たとえば、第一夜は死ぬ間際の女に言われたことをひたすら守っていたら百年たっていた。これ女の言うことを守るという意識から百合の花が咲くことに気づくという意識に変わったととらえるといいかもしれません。


第二夜は無の意識に対して考えた長時間の意識が現実の時間と大きく異なっているという感じですかね。

 

第三夜なんかは罪の意識ですかね。これ、ハムレット読んだときに注釈で良心を説明するときにこの作品のことをフロイトと合わせて説明してたのちょっとおもしろかったな。憎悪や罪の意識は頭の中で100年を生きるわけですね。子どもはその間死んでいたのに



第七夜なんかは結構ありますよね、サウナとかで

 

このように意識の変化をいろんなアプローチでとらえていると考えられます。この変化に合わせて触覚、嗅覚、視覚といった感覚的要素を加えることによって、この作品たちを作り上げていると考えられます。第六夜とかちょっと面白いですね。運慶の作る作品はこの日本歴史においての意識の焦点となっている(?)


というわけで、夢十夜が時間の意識に関する夏目漱石の文学姿勢を多く反映しており、根幹を成している感じがします。

 

この時間感覚における意識の波状変化に留意してその他の作品を読んでみると面白いかもしれません。三四郎かそれからか忘れましたけど、一目見た女を一生覚えているといった描写が見受けられた気がします。マドンナとかいう一瞬しか出ないキャラクターの説明のために性格が似た女を主人公にして1作品書いたり、夏目漱石を知れば知るほどその頭の良さを実感しますね。

 

全部説明したい気持ちはやまやまなんですが、解釈があいまいなところも多くぼくはF+fのいわゆるFの部分をメインに語っている感じがしますね。

 

文学論も下巻全然読んでないし自らに対する入門という意味も込めてこのタイトルにしておきますか。進捗あるいは他作品に関して個人的に考察(的外れだけど)していきたいと思います。

 

おっぱいと認識できるおっぱい探してきます。

 

では